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椎間板ヘルニアと三度目の結婚生活


3月に椎間板ヘルニアと診断され、ペインクリニックへ通い、
薬で痛みを止める治療は4月で一旦終わった。
が、ここ最近、股関節の痛みがまた強くなってきた。
日によって痛みの強さは違うけれど、
引きつるような痺れ感が走る。
何とも言えない、嫌な痛みだ。

痛みが強い日は、あの地獄絵のような結婚生活が蘇ってくる。
昨年5月に私は結婚したが、8月から病院漬けになった。

発端は義姉からのモラルハラスメント。
同居こそしていないが、近くで一人暮らしをし、
自転車で毎日、高齢で足の悪い義母(同居)の様子を見にやってくる。
昼・夜と一緒に食事を摂るので、同居と何ら変わりがない。
その義姉から、全否定され、邪険に扱われ、文字通り、食事は砂を噛むようで
美味しかった、という記憶がない。
野菜一つ買うにも義姉の承諾がないとできない。
調理器具も義姉の指示通り使わないと注意される。
とにかく行動の一つ一つを監視されるのだ。
そのうち、義姉といると心拍数が上がり、胃が痛み、しまいには震えがくるようになった。
毎日生きるのが辛くて、母へのメールはSOSに変わっていき、
心配した母が突然やってきたこともあった。
その頃、元夫の口から
母がなくなったら姉と一緒に暮らしたいと思う
という信じられない言葉が飛び出した。
もっと信じられないのは、のちに離婚したいと告げた時にその話をしたら、
そんなことを言った覚えはない
とのたまったことだ。
自分の言葉にも責任が持てないなんて。
私の人生を左右するほどの重い言葉なのに。

我慢の限界を超えたのが、1年前のちょうど今頃。
それは心だけでなく、身体に表れた。
まず7月末、突然、左足が上がらなくなり、股関節唇損傷、と診断され、
整形外科でのリハビリに通っていた。
けれども、右足は何ともなかった。
これは既にヘルニアからきていたのではないかと、今になって思う。

リハビリの道中に心療内科の看板を見つけた。
迷った末に、元夫の承諾を得て受診。
私がこの頃すでにかなり痩せてきたことを、元夫も気にはしていた。
心療内科でははっきりとした病名はつかなかったものの、安定剤を処方された。
(後に離婚調停で準備した診断書には「鬱」と記載された)

それでも、そのうちに状況が変われば、という微かな希望を持ち、
辛い気持ちを抱えてだましだまし結婚生活を続けた。
11月にはキッチンのリフォーム工事があり、12月に入った頃に完成。
綺麗になったキッチンを使い始めて1ヶ月もしないうちに、
ある日突然、これまで経験したことのない痛みが右足に走り、
のたうちながら30分以上かかってようやく起き上がり、何とか布団から出た。
が、寝室は2階。
どうしても1階に下りなければ、トイレにも行けない。
ままならない右足を引きずり、手すりにしがみつきながら、
もし落ちたらどうしよう、という恐怖・・・
やっとの思いで下り立った時には肩で息をついていた。
足を動かすたびに顔をしかめ、そろりそろりと進む。
元夫に自分の状態をどう告げたか、それに対して元夫がどういう反応をしたのか、
今は思い出せない。
ただ、義姉の態度が冷酷だったことだけは覚えている。
野菜が足りないから、だの、運動不足だからだ、だの。
だけど、マンション暮らしが長かった私にとって、結婚後の生活は激変といえる。
それまでなかった一日数十回の階段の昇降や和室での暮らしは、
運動不足どころか、かなりの負担になっていた。
それは先に左足を痛めた時にも、理学療法士からも指摘されていたこと。
環境が変わり、急に足腰を酷使したのが原因だ、と。
けれども、何一つ家事が出来なくなった私を見て、義姉はますます
何もしない、出来ない、役立たずの嫁
というレッテルを貼っていたに違いない。
お正月準備も、ロクに手伝うことも出来なかったのだから。

年末年始の休診を挟んで整形外科へ何度か行ったが、
関節注射をしても効き目はなく、
嫁ぎ先周辺には他にいい病院がない、ということで
元夫の勧めで1月12日から実家で療養を始めた私。
それが、事実上の別居開始になった。

2ヶ月後に辿り着いたペインクリニックでようやく「椎間板ヘルニア」と診断された。
受診結果を聞いた何人もの人から、それはストレスが原因だろう、と言われた。
ペインクリニックで処方された痛み止めが効いてくるに従って
あの家へ戻りたくない
という思いが強くなっていった。
薬で痛みを誤魔化しても、治ったワケじゃない。
義姉とは恐らく死ぬまで付き合いが続く。
結婚1年足らずでこの状態なのだから、この先とても私の精神がもたない。
これが、私が離婚を決意した経緯。
嫌になったら逃げ出すのか
義姉は私にそう言った。
でも、心身を病んでまで続ける結婚生活に、一体何の意味があるというのか。
結婚して家庭を持ったことのない貴女に何がわかるのか
義姉に対し、いつも喉から出かかっていた言葉。
言えないことでさらに悔しさが増す。
元夫にも、義姉の私に対する態度がキツいことはわかっていたし、
私からも元夫に訴えたけれど、何一つ変わることはなく、元夫は見て見ぬふりをしていた。
この家では私はいつまでも他人。
自分の身は自分にしか守れない。
そう思ったら、結論は離婚しかなかった。

素直に認めたくない元夫に話をすり替えられ続け、協議では埒があかず、
調停離婚になった。
結果は1回の調停であっけなく離婚決定。
そりゃそうだろう。
調停委員が呆れた顔で私に言ったのは
「『貴方の家に対しても中元・歳暮と気を遣ったのに』と言ってましたよ」
いつまでも私にかけたお金に執着する器の小さい元夫にも、ほとほと愛想が尽きた。
一切の金銭のやり取りをしない、という調停調書の内容にも拘らず、
婚約記念品(ネックレス)・結婚指輪を買い取れ
などという信じがたいメールを送ってきた元夫。
離婚の話を持ちかけた時にも、最初に言われたのは
結納・挙式費用その他これまで貴女のために支払った金を返せ
金持ちでもないのに一流ブランド店で婚約記念品を買ったり、
恥ずかしくないだけのことをしたいと言って結納を決行したり、
一流のリゾートホテルで挙式しようと言ったり。
私はそんなことを一言も要求していない。
彼がどうしてもしたいと言うから、それを尊重し、有難く受けたまでのこと。
なのに、離婚の話が出た途端、それを返せって・・・。
ただの見栄っ張りな、ケチで小さい男だったのだ。

元夫はずっと以前に、一度結婚しようとしたことがあるらしい。
入籍はしなかったから、戸籍は綺麗なままだったけど。
結婚式も新婚旅行も済ませた相手の女性がなぜか入籍を渋り、
2人で生活を始めて2ヶ月足らずで破綻したという。
詐欺に遭った、女性不信に陥った
と元夫は言ったが、私は、元夫側に原因があったのでは、と思っている。
挙式・披露宴をして親族・友人にお披露目までしたにも拘らず入籍を断るからには、
相手の女性にとって、よほどの理由があったはず。
鈍感な元夫にはそれがわからなかったのだろう。
私はあの義姉も原因の一つでは、と思っている。
配慮と言うものを知らない義姉のことだから、新婚家庭にヅカヅカと土足で踏み込んだ可能性がある。
私にも弟が2人いて、それぞれのパートナーとはある程度の距離をおいて付き合っているつもりだ。
だけどあの義姉はそういう距離感というか感覚がない。
私が着替えをしている部屋に黙って入ってくるような、ただの無神経女。
私にとっては最強の反面教師(笑)

今日は股関節だけでなく、すねの方まで突っ張るような痛みがある。
こんな日は、嫌でもあの結婚生活が蘇ってくる。
何一つ楽しい思い出がなかった8ヶ月間。
たった8ヶ月?と言われるかも知れないが、私にとっては長かった。
早く記憶から消し去り、なかったことにしたい。
by fujimal_love | 2014-09-09 10:21 | 健康・美容

大丈夫。まだまだ、これから。


by ふじまる